「権力者は人を動かし 指導者は心を動かす」 創価学会を見限る選択肢はありません。 必ず打開できると信じています。 「学会の仏の眼が覚めますように」

狸祭り事件

2025年3月28日  2025年3月28日 

 1941年(昭和16年)、政府は宗教団体法を制定し、宗教統制を強化するとともに、宗教団体を戦争目的へ動員する政策を進めた。その一環として、日蓮正宗も日蓮宗との合同を求められていた。


当時、日蓮正宗内では布教監を務めていた小笠原慈聞が「神本仏迹論」を唱え、身延(久遠寺)との合同に動いた。しかし、これに強く反対し、阻止するために立ち上がったのが創価学会であった。創価学会は、日蓮正宗を守るために命懸けで戦い、「身延攻撃」とも呼ばれる行動を展開した。この出来事は、後に『人間革命』には記されなかったものの、創価学会の重要な戦いの一つであった。


その後、1952年には「狸祭り事件」として知られる出来事が起こる。創価学会の青年部員が、総本山大石寺の境内において、小笠原慈聞に対し、戦前の言動の誤りを糾弾し、牧口常三郎初代会長の投獄を招いた責任を問いただした。これを受け、小笠原は牧口会長の墓前で謝罪した。


この「狸祭り事件」から73年が経過した今、創価学会は日蓮宗の亜流となるのか?

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