日蓮大聖人は御本仏である
日蓮大聖人の御書を引いて、日蓮大聖人がご本仏であることを一部であるが示す。
開目抄上 P186
「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」
主師親を尊敬すべき旨を明かされ
開目抄下 P237
「日蓮は日本国の諸人にしうし(主師親)父母なり」
下種の御本仏の三徳を明かされている。
撰時抄 P265
「されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり」
産湯相承事 P879
「日蓮は天上天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり、今久遠下種の寿量品に云く
『今此三界皆是我有(主君の義なり)
其中衆生悉是吾子(父母の義なり)
而今此処多諸患難(国土草木)
唯我一人能為救護(師匠の義なり)』
と云えり、三世常恒に日蓮は今此三界の主なり」
報恩抄 P329
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし(親徳)、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり(師徳)、無間地獄の道をふさぎぬ(主徳)」
佐渡御書 P957
「日蓮は此関東の御一門の棟梁なり日月なり亀鏡なり眼目なり日蓮捨て去る時七難必ず起るべし」
経王殿御返事 P1124
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」
船守弥三郎許御書 P1446
「過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり」
新池殿御消息 P1437
「主師親の釈尊をもちひぬだに不思議なるに、かへりて或はのり或はうち或は処を追ひ或は讒言して流罪し死罪に行はるれば」
下山御消息 P363
「教主釈尊より大事なる行者(日蓮)」
報恩抄 P328
「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」
「教主釈尊を本尊とすべし」との教主釈尊は、日蓮大聖人を指している。
もしこれが法華経を説く釈尊だとすれば、脇士となる釈迦がもう一人いたことになり、おかしな事になる。
ゆえに教主釈尊とは南無妙法蓮華経をお説きになる教主、すなわち日蓮大聖人である。
無妙法蓮華経日蓮と中央に座られ、その左右に釈迦多宝の二仏も、他の諸仏菩薩も脇士として、おすわりになる大曼荼羅のお姿を示されている。