『創価学会教学要綱』の意味するもの
『創価学会教学要綱』の意味するもの: 牧口・戸田・池田三代会長の書物50冊余りとの比較検証
「比較検証」資料「『創価学会教学要綱』の意味するもの」というタイトルでキンドルで出版されました。200円です。
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『教学要綱』を完璧に破折し切った、すごい論文です。
アマゾンのペーパーバックでも発売になりました。
定価1210円です。紙の本は読みやすいです。
内容の一部を紹介します。
創価学会の教学の変貌(ほぼ引用のみ)
「創価学会においては、釈尊も日蓮大聖人も『拝む対象』ではない」
(創価男子部教学室)
「(我々学会員は)久遠元初以来、日蓮大聖人に向かって、唱題を唱えてきている」『獄中での悟り』
(戸田全集2巻 p39)
「御本尊即、生身の日蓮大聖人と拝するのみ」
(池田全集24, 観心本尊抄講義, p228)
「本尊とは法華経の行者(日蓮大聖人)の一身の当体なり」
(御義口伝)
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「『寿量の仏(久遠釈尊)』そのものを本尊とするのではなく、『寿量の仏』が多宝仏、四菩薩などとともに脇士となる文字曼荼羅を本尊とする」『人と法が切り離された単法本尊』
(教学要綱 p. 79)
「此の自受用身の人格に妙事の三千の法が具つて居る処が法即人の本尊であり此の互具一体の処を人法一箇とも一体とも申して私達の帰依する仏様であります」
(牧口全集10 巻, 訊問調書 p197)。
「人法一箇とは、仏法の大眼目であり、正邪の判別はこれにある。南無妙法蓮華経即日蓮大聖人」
(戸田全集4 巻 p67)
「御本尊は、一往は法本尊でありますが、再往は人法一箇の御本尊であります。ゆえに「南無妙法蓮華経 日蓮」と中央にしたためられております。南無妙法蓮華経は”法”、日蓮在御判は”人”をあらわすのであります」
(池田全集24 巻 観心本尊抄講義 p232)
「中村誠 著 『創価学会教学要綱』の意味するもの」より引用