「権力者は人を動かし 指導者は心を動かす」 創価学会を見限る選択肢はありません。 必ず打開できると信じています。

巻頭言 妙法の名将 大百蓮華1966年4月号(壮年部結成記念)

2026年3月7日  2026年3月7日 

 巻頭言
妙法の名将

創価学会会長 池田大作

 名将とは、古い表現であるが、現代では、いわゆる指導者を指していうのである。

 現在の日本にも、政界、財界、教育界、実業界等に、多数の名将がいるかもしれない。

しかし、民衆に直結し、仏法哲理を裏づけとし、かつ、未来の新時代を開拓し建設していく、確僧に満ち満ちた名将、指導者は、幾人いることであろう。

 過去において、智将、男将、英雄、英傑、賢者と称せられた人は、東西の歴史の上で、数多く存在した。

 私は、これらの栄誉、栄達に生きた名将を指したり、欲したりするのでは決してない。

 学会幹部諸兄こそ”妙法の名将”すなわち庶民とともに生きて、最も不幸な人々の味方となり、社会の一人一人を救い、指導しきっていく、真の名将になっていただきたいと、強く念願して止まない。その人こそ、所詮は、社会各階層の真実の名将に通ずると確信するからである。

 ゆえに私は、ここに、妙法の名将たる資格を論じ、幹部諸兄の成長の資にしたいと思う。


 第一に、妙法の名将たらんとする者は、一閻浮提総与の大御本尊に対し、絶対の確に立ち、常に、日蓮大聖人の御書を心肝に染めて、妙法広布に一意邁進すべきである。法妙なるが故に人貴しと。最高の理念たる、色心不二の大生命哲学を奉ずる者こそ、すなわち最高の智人であり、妙法の名将といい得ると思う。

 御義口伝にいわく「末法に入っては今日蓮等の類いは善の導師なり」(七一二㌻)と。

 民衆を、真実の幸福へと導く善の指導者は、仏意、仏勅を奉じて戦う創価学会以外にないことは、この御文により明らかである。刻々と移りゆく時代の方向を観るとき、今や学会が日本の柱であり、世界平和への礎であることは歴然としているといえよう。

 したがって、学会に生ききる指導者として、絶えず学会の発展に身を拠し、後輩に対しては、学会本部の指導方針をば、少しも違えず、真っ直ぐに伝えきっていく真摯な態度こそ、名将としての根本条件といわねばなるまい。


 第二には、妙法とは実践であり、名将は力を持たねばならぬ。いかなる難事をも成し遂げゆく実行力と闘争力を有(も)ち、いかに誤れる思想をも破折し、かつ指導できる折伏力と指導力を有することが、幹部の最も必要とするところであろう。

 御書にいわく「軍には大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり」(一二一九㌻)と。

 幹部はあくまでも、実践第一を旨とし、大目的に向かっては、常に先頭きって戦い、あとに続く人々に、その範を示していただきたい。この幹部の姿に呼応し、全員の土気は高まり、担当する組織もまた、いつも若々しく歓喜と感激に満ちあふれるのだ。

 古来、いかなる革命も、それを成就した源泉は、勇猛果敢なる実践であり、たくましき革新の息吹きであった。われらの最高の革命には、安逸や保守があってはならぬ。新しき時代を目指し、革新の中の革新をもって貫いてゆこうではないか。


 第三には、広く知識を世界に求め、社会のすべてに通暁した世雄となっていただきたい。

 御書にいわく「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(二五四㌻)と。

 仏法は生活法であり、生活の源泉である。仏法によって得たる智慧によって、揺ぎない生活を確立し、さらに正しい人生観、社会観を開いて、新社会建設への先駆となってゆけるのである。

 されば、妙法の名将こそ、職場の勝利者であり、かつ豊富な知識と、国際的視野を具えた立派な社会人であって当然であろう。しかも、今まさに化儀の広布、順縁広布の時である。学会の諸活動はもちろんのこと、日本の動向、世界の情勢をも把握し、今は何をなすべきかという、具体的な方策を常に樹立して、大来のために戦う、真の指導者であっていただきたい。


 第四には、常に人材を求め、後輩を育成してゆく熱意がなくてはならぬ。御書にいわく「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(一三六〇㌻)と。誰しも学会員であれば、各々に使命があることは、御金言に明らかである。いかなる人をも活かしきっていくとの決意をもって、後輩を自分以上の人材に成長させていく隠明な人こそ、真の名将というべきであろう。

 自分一人が偉くなろうという態度は、名聞名和に流され、団結を破る行き方になるおそれがある。一般社会の「一将功成って万骨枯る」という利己主義の方式は、あくまで排撃しなければならぬ。一人が百歩前進するよりも、百人が一歩前進する方が、どれだけ尊いか、測り知れない。

 したがって幹部は、支部員、部隊員を心から大事にし、後輩を一人残らず、りっぱな大信者にしよう、幸福を得させようとの一念を強固にもたねばならぬ。これこそ、民来救済の原理であり、慈悲の精神であり、正しく名将の名将たる所以である。

 百万言の指導よりも、その将のいるところ、全学会員が、安心し、納得し、喜んで前進する実相を示しきっていきたいものである。


 第五には、人間性豊かな、包容力ある指導者であっていただきたい。指導は、日蓮大聖人の御金言に基き、厳然たるものでなければならないが、半面、限りない明朗さと、大きな包容力は、絶対に必要である。威厳と共に意容、男気と共に礼儀、敵には強く後輩には心からやさしく、すべて両面を具えてこそ真の名将といいえよう。

 優れた指導者は、感謝され、喜ばれながら、人々を前進させていくことができる。反対に権威主義と形式主義に流され、冷淡で、不親切であれば、後輩を傷つけ、反感を抱かせ、全く心を進めさせることができない。指導にあたっては、同じ悩める同志として援けあっていく、人間性溢れる指導者であることを、心から願わずにはいられない。

 また後輩の意見、要望にもよく耳を傾け、正論は正論として、尊重する態度こそ、名将に不可分の要素である。古来、創業者といわれる英傑は、必ず忠言に耳を傾けた姿があった。だが、その多くは、事業成るや忽ちに堕落して、正論を弾圧する暴君と化したのである。妙法の名将は、永久に堕落してはならぬ。


 第六には、睡盛な責任感と、その活動には計画性とをもつべきである。広布の途上、いかなることが起きるかもしれない。だが、すべて自己の責務であるとの強い生命力をもって、一歩も退くことなく、あらゆる事に処していただきたい。御書にいわく「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(七五八㌻)と。この偉大なる責任感、この大慈悲があられたればこそ、日蓮大聖人は、瞬時も休まれず、あの烈々たる大折伏を敢行されたと拝さずにはいられない。われらは、この御本仏の「所作仏事、未曽暫癈」の精神を帯して、その万分の一でも努めきっていきたいものである。

 また、戦いを勝利に導く真の指導者であるならば、その活動には、積極的な行動とともに、充分な計画を練り、機敏に、先手、先手と考えて決して後手になってはならぬ。全体観に立って、来るべき事態を予見し、着実な手を打っていってこそ、全学会員の絶えざる向上、発展がもたらされるといえよう。願わくは、学会百年の大計はもちろんのこと、国家百年、いな人類百年の大計を考えて進む、妙法の名将であっていただきたいことを熱願して止まない。


 以上、要をとって、六項目にわたり、名将の資格について申し述べた。しかし、詮ずるところ、信心強き者こそ、真の妙法の名将となり得るのである。

 御書にいわく「上慢の四衆不軽菩薩を無智の比丘と罵詈せり、凡有所見の菩薩を無智と云う事は第六天の魔王の所為なり、末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無智の比丘と謗ぜられん事経文の明鏡なり」(七六五㌻)と。

 今日、心から民衆の幸福を願い、広布に適進するわが学会をじ、かつその前進を阻もうとする者の行為は、第六天の魔王の所作なることは、仏法の鏡に照らし、瞭々(りょうりょう)として明らかである。

 学会幹部諸兄よ、信心の眼を開き、彼らの本質をば第六天の魔王と見破るとき、凜々たる勇気と不屈の闘志とが、胸奥より込み上げてくるではないか。

 どうか、われらの前途が、いかに波立とうと、いかに障魔が強かろうと、大御本尊に対するひたぶるな唱題によって、偉大なる生命力と智慧を湧現せしめ、玉仏冥合を目指す仏の軍の名将として、堂々たる勝利への指揮をとっていただきたいことを、心から願って止まないものである。

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